土器や石器などから見る先史〜中世の札幌

さっぽろ再発見! 歴史
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札幌が街づくりを始めてからおよそ150年です。しかし、札幌の地に人が住み始めたのは、遺跡発掘や数々の研究結果から旧石器時代までさかのぼります。

ここでは、土器や石器などの遺物、住居や墓などの遺構などの埋蔵文化財に焦点をあて、先史から中世の札幌を見てみたいと思います。

札幌市域からはこれまでに行われた調査などによって500ヶ所を超える遺跡が確認されています。

とても身近なところに遺跡は存在していると言っても良いでしょう。

500ヶ所以上も遺跡があるんですね。すごい数ですね。

「札幌市埋蔵文化財包蔵地一覧」というのがあるので遺跡の場所がすぐにわかりますよ。

埋蔵文化財

各時代区分の遺跡

 

旧石器時代

札幌で発見されている最古の石器は約1万6000年前頃のもので、豊平区羊ヶ丘から出土しています。

羊ヶ丘といえばクラーク博士の銅像、札幌ドームもありますね。

北海道では、少なくとも約3万年前から1万年前の後期旧石器時代に使われていた石器の存在が確認されています(こちらの記事を参照)。当時は、年平均気温が今よりも7〜8℃ほど低く、海岸線は今よりも100m前後海側にあり、間宮海峡や宗谷海峡は大陸と陸続きであったと言われています。

当時の人々は、オオツノジカやヤギュウなどの大型動物を追って、定住せずに季節ごとに移動する生活をしていたと考えられています。

北海道では、約4〜2万年前頃のマンモスゾウの化石も発見されていることから、当時はマンモスゾウも獲物の一つだったのかもしれません。

縄文時代

北海道の縄文時代は今からおよそ1万年前に氷河期が終わり、8000年前には始まると考えられています。

旧石器文化が終わる頃、土器(粘土で成形し焼き上げた耐水性のある器)が発明されました。これらの土器の表面には、縄紐を転がした痕がついているものが多くあります。

縄文時代になると現在と同じような気候になり、動物や魚を獲ったり、木の実を集めたりして、豊かな自然の恵みを余すところなく利用していたと考えられています。

住居は、縄文時代のはじめ頃は1年を通じて同じ場所に生活するのではなく、季節によっては豊富な食料を求めて、別の場所に出かけるという暮らしをしていたようですが、次第に、竪穴式住居群を拠点としてムラを作るようになったと考えられています。

道具としては、土器以外にも石、木、骨や角などを利用して様々な道具を作っていました。

色々な道具としては、石で作られた石器は、肉を切る、骨を削る、木や骨に彫刻をする、皮に穴を開ける、木を切る、土を掘る植物・穀物をすりつぶす、木の実を割る、など様々な使い道に応じて作られています。

西区二十四軒のN30遺跡では、縄文時代晩期のお墓に伴って、板状の土偶やサメの歯が発見されています。この遺跡の調査では、お墓の他に竪穴式住居跡や大量の土器や石器が出土し、、当時の生活の様子や埋葬方法などを知る上で極めて重要な発見がされています。

出土した資料は1,400点以上にのぼり、札幌市の指定有形文化財に指定されています。

下記のリンクに掲載されている写真を見ると、めっちゃ街の中じゃないですか!

“二十四軒”って、明治の頃、入植した時の住居の件数が”24軒”だったことからこの地名になったそうですよ!同様に八軒とか十二軒とかも。

西区N30遺跡

続縄文時代

今から約2,300年前、本州では、水田による稲作が展開され弥生時代へと移り変わります。しかし、北海道では寒さのため、水田による稲作は行われませんでした。そのため、縄文時代と同様に、北海道の環境に適応した狩猟と漁猟、採集を中心とする暮らしが続いていました。

JR札幌駅構内のK135遺跡の発掘調査は、1984(昭和59)年と1985(昭和60)年に、線路の高架化に伴って発掘調査が行われました。発掘調査では、今から約1,700年前頃の人々が残した土器や石器、骨角器などの道具や、焚き火跡と小屋、棚の柱跡などが数多く発見されています。

JR札幌駅ってめっちゃ都心部じゃないですか!

また、東北の弥生文化の遺物や北のオホーツク文化の遺物なども発見されており、当時から札幌という土地が南北の文化の交流拠点だったことが明らかになっ たという意味でも非常に重要な遺跡だと言えます。

この遺跡では、竪穴住居跡は見つかっていませんが、多くのたき火跡が見つかっており、そのたき火跡の土の中からは大量の焼け たサケの骨が見つかりました。遺跡内では、埋没した河川の跡も確認されており、河川でのサケ漁が盛んに行われていたことがわかり、市内では続縄文後半期 の最大級の遺跡と言えます。

当時の人々は、川のサカナを求めて低地に生活の拠点を移していったようですね。

擦文時代

本州の奈良時代になる頃から、北海道では、かまど付きの竪穴住居、土器の形、木や漆・鉄などの製品など、本州の生活様式や道具を取り入れた擦文文化が始まります。

表面に木のヘラなどで擦った跡がついている土器が発見されるのが特徴で、擦った文様の土器が使われる時代という意味で、擦文時代と呼ばれています。

擦文時代の遺跡からは、ムギ・アワ・ヒエ・キビなどの栽培植物がまとまって出土し、各地で栽培されていた可能性が考えられています。

北区麻生のK446遺跡では、擦文時代の集落跡から須恵器、土製紡錘車、土製支脚が発見されており、この時代の本州との交流の状況を知る上で貴重であることから、北海道指定有形文化財に指定されています。

札幌市K-446遺跡出土の遺物 文化遺産オンライン

また、明治時代に北鳴学校や札幌史学会で活躍した高畑宣一は、現在の北海道大学植物園、北海道知事公館、札幌駅などの中心部から麻生町にいたる範囲について、約720ヶ所の擦文時代頃の竪穴住居の埋まりきっていないくぼみを地図に記録しています。

この地図は、現在「旧琴似川流域の竪穴住居跡分布図」と呼ばれており、札幌市指定有形文化財に指定されています。

旧琴似川流域の竪穴住居跡分布図

中世の北海道

中世の北海道は擦文文化を母体として、アイヌ文化が成立します。その一方で、本州からの和人が流入してきたという記録もあるようです。鎌倉前期であれば、京都、瀬戸内の囚人、海賊が島流しとして北海道い流されるようになります。

また、現在の青森県の津軽地方には安藤(東)氏がおり、同氏は鎌倉幕府の執権北条氏の家臣であり、北海道との北方交易をも支配していました。

この後、先に記載した「アイヌの「異文化びと」と「和人」の接触~交易(中世)」の歴史へとつながっていくのです。

いよいよ松前藩とかアイヌの〇〇な戦いとかが登場するんですね!

最後に

土器や石器を中心に先史〜中世の札幌について見てきました。「さっぽろの遺跡」については、「札幌市埋蔵文化財センター」にて展示がされ、閲覧ができるようになっています。市電「中央図書館前」駅からすぐのところにあります。

さまざまな土器、遺跡などの貴重な資料が展示されていますので、一度足を運んでみてはいかがでしょうか?

さっぽろの遺跡(埋蔵文化財センター)

 

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